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名護湾
【なごわん】


沖縄本島北部西海岸に位置する湾。東から南を国頭(くにがみ)山地,北は,西方に突出する本部(もとぶ)半島に囲まれている。方言ではナグワンという。名護の地名は,名護湾の静けさから「凪ぐ」にちなむという説がある(国頭郡志)。「バジル・ホール探検記」「ペリー訪問記」ではディープ湾(Deep Bay)と見える。名護湾を縁どるサンゴ礁は,海岸から250~1,000mの間に分布し,その沖合いは急に深くなる。砂浜の発達は北岸側と南の喜瀬・幸喜付近に顕著で,北岸の屋部川河口には東西約700mにわたる長い砂嘴が形成される。名護湾に注ぐ主な河川は,北から穴窪川・安和与那川・屋部川・幸地川・世富慶(よふけ)川・轟川・福地川・幸喜川・喜瀬川などである。湾奥の名護市街地から南,許田に至る間は,かつては国頭山地の断層崖が海に迫る岩石海岸で出入りに富み,道路は海岸線に沿って屈曲する海端の狭い道であった。名護の七曲りとして知られ,四十九曲りあるいは五十一曲りともいわれた。ここから北に嘉津宇岳,南に恩納(おんな)岳を望む風光は格別で,文人墨客はこれを絶景とたたえ,山紫水明をめでた。一方ここは西宿(いりじゆく)(官道)随一の難所でもあった。しかし,沖縄国際海洋博覧会を契機とする国道58号の改良整備により直線化され,白砂と岩礁の織りなす景観は見られなくなった。名護湾の名物はピートゥ漁である。ピートゥは,一般にイルカとして知られるが,実際は近海クジラの一種コビレゴンドウクジラが大部分を占める。春から初夏にかけて,近海を回遊するピートゥ群が名護湾に近づくと,町内には「ピートゥどうい(ピートゥ到来)」の声が駆け巡り,住民総出の騒ぎとなる。漁民たちは湾の南の方から遠巻きに湾の奥へとピートゥ群を追い込み,浜では銛や槍をもつ群集が待ち受け,浜はピートゥと人間の一大格闘場となる。多い時には数百頭,普通でも100頭前後を捕獲したという。肉は加わった全員に分けられる。かつての人々にとってピートゥ群の到来はまさに瑞兆であり,その肉は貴重な食料・蛋白源となった。漁船の改良や海浜の埋立てにより,ピートゥと人間の格闘も近年は見られなくなった。明治期まで,山原(やんばる)地方と那覇(なは)の交通は海路が中心で,名護港は船客の乗降や物資の積降ろしでにぎわった。しかし,首里・那覇の人々にとって名護は僻辺の地のイメージが濃く,山原船の船頭を恋人とした渡地(わたんじ)遊郭の遊女が「名護や山原の行き果てがゆわらなまで名護船のあてのないらぬ(名護は山原の一番遠い果てだろうか,こんなに遅くまで名護船の音沙汰がないのはどうしたことだろう)」と謡っており,その心情がうかがわれる(琉歌全集2434)。明治の紀行文人たちはこの歌の上句をよく引用した。また,名護の人々も愛誦する琉歌に「浦々の深さ名護浦の深さ名護のめやらべの思い深さ(各地に深い浦々があるが,一番深いのは名護の浦だ,あちこちに情の深い娘がいるが,最も情の深いのは名護の娘たちだ)」と謡われている(琉歌全集2388)。名護の浦の白砂の浜も昭和47~49年に埋め立てられて,現在はその西側30haは21世紀の森公園・文化施設・下水処理場および第1種漁港名護漁港の施設に,南側10haは住宅地として利用されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241299