100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

羽地大川
【はねじおおかわ】


沖縄本島北部を流れる河川。河川延長12.60km・流域面積14.79km(^2)。河口から5kmは2級河川に指定されている。方言ではハンジアプハーという。また古老によればハンジャーの名でも知られる。名護岳南東麓に源を発して北流し,名護市川上・田井等・仲尾次を経て羽地内海へ注ぐ。下流に北部最大の平野を形成し,ハニジターブックヮ(羽地田圃)と呼ばれる美田地帯が広がる古くからの名高い河川である。かつては名護岳のふもとから西南方へ流れ,川上・親川・田井等・振慶名(ぶりきな)・伊差川・我部祖河(がぶそか)・古我知(こがち)・呉我の諸集落を経て,羽地内海に注ぐ現在の我部祖河川の流路を流れていた。大小20余の支流を数えたといわれ,山間部でデークマタ川・ウズル川・マタキナ川,中流部でフバマタ川・ハニガー(金川,我部祖河川上流部)・奈佐田川などを合わせた。荒れ川で治水は困難を極め,雍正13年(1735)の大水害に際して時の三司官蔡温により行われた大改修,さらに明治43年の大決壊を機に大正6年~昭和13年に20年余の年月をかけて完成した大改修と,過去に2度にわたる大治水工事が行われたことは有名である。「球陽」「羽地大川修補日記」によれば,雍正13年7月の豪雨で大洪水が起こり,流域の水田が荒廃に帰した。時の尚敬王の命を受けた蔡温は約3か月をかけ,地元羽地間切をはじめ国頭(くにがみ)地方全域にわたり,合計10万7,380人に夫役を課し工事を完成した。川の逆流地点を直し,水勢に拮抗するために大堤防を設け,新たに灌漑水路をひき,4つの橋梁を設けたという。国王は工事を完成し首里に戻る蔡温を途中の浦添(うらそえ)番所まで出かけて迎え,自筆の書を与えて労をねぎらったとされる。この改修を記念して碑がたてられたが,後に破損したので,道光10年(1830)新たに「改決羽地川碑記」が川上の上増原にたてられた。「南島風土記」ではその碑文からみてかつての河口は今帰仁(なきじん)村湧川辺りであったとし,改修により呉我湊に移ったとしている。蔡温による改修後も水害がたびたび起こり,約200年後の明治43年に羽地大川は再び氾濫し,大決壊を引き起こした。地元では地主が羽地大川耕地整理組合を組織して改修にあたったが,工事は進捗せず,多くの地主が没落した。最終的には県に補助や技師の出向を求め,従来,呉我湊に注いでいた川筋を廃し,新たに切通しを掘って東方の仲尾次集落の西で羽地内海へ注がせることとし,昭和13年にようやく完成し,以後,現在の流路となった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241454