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満名川
【まんながわ】


沖縄本島北部,本部(もとぶ)半島中央部を横断して西に流れ,本部町で東シナ海に注ぐ河川。方言ではマンナガーという。河川延長5.5km・流域面積12.37km(^2)。下流から4.5kmが2級河川に指定されている。河川名は王府時代の満名村(現本部町並里のうち)を貫流することにちなむと考えられる。本部半島の中央部に源を発し,本部町並里・伊野波・東の各字を経て渡久地(とぐち)で海に注ぐ。中流で笹川・千葉石川,下流で伊野波川・長田川・尻無川を合わせ,流域が広い。山地を流れる上・中流は渓谷が多く,並里・伊野波の集落付近から下流には沖積地が開ける。下流は感潮河川で潮の溯上があり,大正期には護岸不備で,満潮時は渡久地の集落内にも潮が押し寄せ,干潮時には干潟が出現した。河口の入江に臨む渡久地は間切番所が置かれたところで,行政の中心として今日に至っている。雍正13年(1735)の三司官蔡温の助言によりはじめて渡久地橋が造設され(球陽尚穆王30年条),農耕・交通に便益をもたらした。河口に渡久地港がある。下流域一帯の沖積低地は,近世以降ヌファターブックヮ(伊野波田圃)と呼ばれ,本部町一の米所であった。大正7年耕地整理組合を設立,下流域50町歩の整理計画が実施された。しかし昭和35年以降水田はサトウキビ畑に変わり,宅地化も進行している。上・中流域の山地・丘陵部は,大半が亜熱帯林の山地であったが,昭和34年頃から山地を開墾してパイナップル栽培が盛んになった。しかし,それ以来土壌流出や洪水災害を受け,特に昭和44年10月4・7日には,下流左岸の字東で全世帯の約6割160戸が床上浸水,右岸の本部小学校・本部中学校は全校舎が1m浸水の被害を受けた。その後,護岸の強化と埋立てにより対策が講じられた。新制中学発足の初期(昭和23~33年頃)の満名川は満々と水をたたえ,プール代わりに中学生の水泳訓練場となったが,上流域の開発と取水により現在は著しく減水した。並里小字泉口原は町の水源地として利用されている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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