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美崎浜
【みさきはま】


石垣島南部,石垣市登野城(とのしろ)の南にある海岸。方言ではミシャギパマといい,目の崎の意味か。近世には石垣湊ともいわれ,貢納物を集積する三湊の1つで,近くには蔵元があった。御用船を入れる船溜,造船所のスラ所もあった。美崎の海が港湾に適したのは,石垣島の南岸を取り巻くリーフがサクラ口と黒島口の両所で切れ,外海の潮が干満のたびに激しく東流,西流することによる。この潮流で美崎の海底はV字状に削り取られ,リーフ内ながらも船舶の航行・停泊が可能な水深が保たれた。スラ所は,康煕16年(1677)に「はんな村」の石垣親雲上ほりくもいが美崎に作ったもので,以後「定納大船揚下」は著しく改善された(八重山島年来記/県史料前近代1)。雍正13年(1735)スラ所が修築されている(同前)。「二月じらば」には,2月に島々村々から選ばれた若者が美崎で造船作業に勤めた様子が謡われ(ジラバ110/歌謡大成Ⅳ),「みさぎまいじらば」では,順風を待って停泊する船の姿が活写されている(ジラバ55/同前)。また「くんのーらぬぶなれーま」には,西表(いりおもて)島古見(こみ)村の乙女が若夏の季節に貢納布を小舟に積んで石垣島へ来て,「じまどじま舟着き みしやぎの前ど舟着き じまどじま宿とり うらぬ前ど宿とり(どこが舟着き場だ。美崎の前が船着きだ。どこが宿所だ。蔵元の前が宿所だ)」と謡う(ユンタ28/同前)。近くに美崎御嶽・船浦御嶽・真泊御嶽があり,公用船出帆には大阿母が美崎御嶽で祈祷したのち真泊御嶽を参拝し,境内外に香炉を置き,船が富崎を巡るまで海上安穏を祈願した。船浦御嶽でもツカサが御嶽後方の仮小屋で三日三晩こもって竹富(たけとみ)島の船神,於茂登(おもと)岳の神,竜宮の神の三方に祈りをこめた(八重山歴史)。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241785