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宮城島
【みやぎじま】


沖縄本島北部の西海岸,塩屋湾口にある小島。方言ではマーグシク・ナーグシクといい,「みやぐしくじま」ともいう。大宜味(おおぎみ)村に属し,1島で字宮城を構成。周囲2.47km・面積0.21km(^2)・最高標高68m。「ペリー訪問記」ではクロフォード島(Crawford Island)と見える。ペリー一行の地質調査隊が,炭層調査を行ったらしい地層が宮城に分布しているという。南東部に集落があり,北西部の小高い山には琉球松の林がある。東部のブロック工場や村営住宅付近では約200年前から第2次大戦後まで製塩を行っていた。塩屋湾内に突き出た浜堤をカンサガニクといい,数基の古い墓がある。カンサは墓,カニクは砂浜をいう。昔,島には家はなく,近くの津波(つは)や屋古の住民が舟で農耕に通っていた。津波からは,干潮時には歩いて渡れるトゥケーイチャピシ(渡海板干瀬)がある。約200年前士族が島に移住し,製塩業や農業をしたのが集落の始まりである。現在の住民のほとんどを構成する辺土名・崎山・屋我・大嶺・花城などの姓の人たちの祖先である。土地のほとんどは津波の人の私有地であったが,士族の身分を守るために地割による土地の配分を拒否し,あえて小作料を払ってきた。主に製塩業を営んできたが,その土地も第2次大戦後までその小作科を支払っていたという。大正8年の「国頭郡志」に「人家十数軒塩田を有し朝夕炊煙立上りて湾内の風致を添ふること一段なり」とある。宮城島を含む塩屋湾一帯は沖縄有数の景勝地である。昭和7年頃までは塩屋―白浜―宮城島を結ぶ渡し船があった。今日では宮城島と沖縄本島を結ぶ宮城橋と塩屋大橋ができている。湾頭の架橋は同12年に町村災害土木補助で宮城橋(丸木橋)が架けられたのが初めで,当時は地域の名物となっていた。その後7回住民の力で橋を造ったが,そのたびごとに台風で破壊された。第2次大戦後は琉球政府の援助で同29年鉄骨の橋ができたが,これも同35年のチリ地震による津波で流失し,同37年に現在の橋が架設された。塩屋大橋は翌38年に完成した。現在は国道58号が走り,全く離島という感じはなくなった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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