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宮古島
【みやこじま】


那覇(なは)港の南西,海路約315kmに位置する島。宮古諸島の主島。宮古本島と呼ぶこともある。古くからミャークまたはボラミャークと称したらしく,「元史」に「婆羅公(管下密牙古)」と見え(仁宗紀延祐4年条),「李朝実録」に弥阿槐島・覔高是麽・悖羅弥古島と見える(世宗8年条・成宗10年条)。その後,夏子陽の「使琉球録」に「太平山あり,俗に苗菰と呼ぶ」,「指南広義」に「麻姑山,宮古島,太平山」とあり,「中山伝信録」では「太平山・一名は麻姑山」として,「始め宮古となし,後迷姑とし,いま麻姑となす」と注してある。嘉慶2年(1797)に池間島(平良(ひらら)市)北方の八重干瀬で遭難したプロヴィデンス号の艦長ブロートンは,この島を指してタイピンサン(Typinsan)と称している(北太平洋探検航海記)。これは中国名の「太平山」によるもので,嘉慶8年来琉のバーニーの海図にもTypinsanと見える。サマラン号の艦長ベルチャーやペリーはTai-pin-sanとつづっている(サマラン号の航海記・ペリー訪問記)。面積158.37km(^2)・周囲114.63km。北部の平良市を中心に南西部の下地(しもじ)町,南部の上野村,南東部の城辺(ぐすくべ)町の1市2町1村からなる。島の周辺には池間島・大神島(平良市),伊良部(いらぶ)島・下地島(伊良部町),来間(くりま)島(下地町)などがある。地形はきわめて平坦で,最高標高は114.6mであるが,島のほとんどが標高50m以下の典型的な低島である。島は第四紀石灰岩である琉球石灰岩で大半が覆われ,東側の一部に第三紀島尻層群の泥岩が基盤として露出する。琉球石灰岩の層厚は一般に20~30mで,その下部は島尻層群となる。このような地質のためカルスト地形が発達し,断層線に沿って島の北北西から南南東にのびる石灰岩堤が顕著である。各石灰岩堤の間は平坦で,溶食作用により生じた段丘面となっており,サトウキビ畑などの農地となっている。また地下には鍾乳洞の形成が各地で認められる。空隙の多い琉球石灰岩域では,雨水はすべて浸透するため,河川の発達がきわめて悪く,川はほとんどない。雨水のすべては地下水となり,琉球石灰岩を帯水層として流れ,海崖から湧水となって流出する。白川田湧水はその代表的なもので,重要な上水道水源となってきた。またこうした水文環境の有効な水利用のため,地下ダムの建設が計画され,皆福地下ダムが昭和54年に完成し,今後も各所で建設が予定されている。海岸部は裾礁のサンゴ礁に取り巻かれるが,南海岸のように10~30mの断崖が続くところでは一般に礁の発達が悪くなる。また宮古島の北方海上には八重干瀬がある。大小100あまりの台礁群で,古来漁民の好漁場となってきた。普段は水面下に隠れているが,大潮の時には一面に露出する。気候は亜熱帯海洋性の気候で,年平均気温23.1℃,年間降水量2,200mmほどになり,7~10月には台風の襲来がある。特に昭和41年の第2宮古島台風(コラ台風)では世界観測史上第2位の最大瞬間風速85.3mに達し,多数の家屋が倒壊した。昭和58年3月末現在の島の人口は4万9,570人で,多くは平良市に集中しており,周辺離島・町村部に過疎化が顕著であるのに対し,平良市だけは漸増傾向となっている。琉球石灰岩を除くとほとんどが農用地である。大半は土壌が薄く,夏季には旱魃の被害を受けやすい。近年,農用地基盤整備事業が進み,サトウキビを主作物にカボチャなどの野菜・花卉栽培が盛んになってきた。水産業は春のカツオ漁も近年は振るわず,代わってクルマエビ・モズク・ウミブドウなどの養殖業へと変化しつつある。島の西部には宮古空港があり,那覇・石垣・多良間の各空港を結ぶ定期便が運航している。海上交通の中心は平良港で,那覇・石垣および台湾を結ぶフェリーのほか,池間・伊良部・多良間の各島への定期船が発着する。大神島への定期船は島北部の島尻から,来間島への定期便は島南西部の与那覇(よなは)の前浜からそれぞれ運航している。観光開発は,八重山諸島に比べてかなり遅れをとっていたが,近年大型観光ホテルができた与那覇ビーチを中心に観光ブームにのり,砂山ビーチ・パイナガマビーチなどには県外から多くの海水浴客が訪れるようになった。また昭和60年にはトライアスロン大会が開催され,県内外および外国からも多くの選手・関係者および観光客が訪れて,「トライアスロンの島」として一躍脚光を浴びた。道光23年(1843)に来琉したサマラン号の艦長ベルチャーは,「サマラン号の航海記」の中で,宮古島の住民について,バジル・ホールが記した琉球人ときわめてよく似ており,優しく穏やかであると賞賛している。また彼は宮古島の住民の髪型,着衣の階級差,琉球への貢納品,経済,食物,タバコなどの嗜好品および特産の貝類について述べ,また身分制を観察したり,個人の性格についても興味深い記録や肖像を残した。集落・住居・耕地・牧畜・墓地,土俗信仰の一端および風土病にも言及している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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