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宮古諸島
【みやこしょとう】


先島(さきしま)諸島の東部に位置する諸島。宮古群島・宮古列島ともいう。「中山伝信録」や「琉球国志略」では南七島と記し,ベルチャーの「サマラン号の航海記」にはタイピンサン諸島(Tai-pin-san)と見える。那覇(なは)港の南西,海路約315kmに位置する主島の宮古島(平良(ひらら)市・城辺(ぐすくべ)町・下地(しもじ)町・上野村)を中心に,池間島・大神島(平良市),伊良部(いらぶ)島・下地島(伊良部町),来間(くりま)島(下地町)および宮古島の西方海上約50kmにある多良間(たらま)島・水納(みんな)島(多良間村)の有人島8島と無人島4島からなる。総面積約272km(^2)で,県総面積の約10分の1に当たり,その70%を宮古島が占める。宮古諸島はすべて琉球列島に属し,地形・地質などの自然条件は,ほとんど均一の性格を有し,琉球列島の諸島の中でも同質性の最も強い地域として認められる。宮古島は最高標高が114.6mしかなく,山地のない低平な台地状の低島である。諸島の大半は,標高60m以下の1ないし2の段丘面から構成され,地質的には琉球石灰岩に覆われる。琉球石灰岩の基盤は新生代鮮新世の島尻層群の泥岩・砂岩からなり,宮古島と大神島の一部以外には地表に露出しておらず,宮古諸島はすべて琉球石灰岩の島と形容できる。そのため自然環境や土地利用など,すべてに同質地域としての性格が強い。地形的には,島尻層群が地表に広く露出する宮古島東部の小起伏丘陵を除くと,大半が石灰岩段丘となる。また,段丘を開析した海岸周辺には,小規模な海岸低地が発達する。石灰岩段丘は標高20~60mの中位段丘と標高15m以下の低位段丘に大別される。しかし段丘は断層によって分断され,その段層崖に沿ってカルスト残丘の石灰岩堤の発達が顕著である。特に宮古島では北西から南東方向に走る4~5列の石灰岩堤が発達し,島の高所を占め,長山や野原岳などの山嶺をなす。石灰岩堤は伊良部・来間・池間の島々にも存在し,そのため段丘は溶食作用を受けた平坦面を形成している。多良間島・水納島は,大半が標高15m以下の低位段丘のみからなるが,島の最高部は多良間島が34.4m,水納島が10mで,いずれも段丘上に発達した古砂丘であるという特異な地形をもっている。宮古諸島には石灰岩堤のほかに,ドリーネや鍾乳洞が数多く存在する。雨水は浸透するため,河川がほとんど認められず,地下水となり泉として崖から湧き出る。宮古島の白川田・ムイガー・ボラガー(保良井泉)などがその代表で,白川田は上水道源となっている。地下水の多くは洞穴を水脈として直接海へ流出するため,近年石灰岩の中にコンクリートを流し込んで造る地下ダムが,昭和54年城辺町新城(あらぐすく)の皆福に完成した。今後も各地にこの皆福地下ダムと同様のダムの建設が予定されており,水資源の確保に努めている。洞穴はすべて地下水の集中によって生成されたもので,洞穴の天井が陥没したところが,暗川として古くから井戸がわりに使用されてきた。平良市内の大和ガー・盛加ガーがその例で,こうした水利用は琉球石灰岩地域特有のものである。また石灰岩地域は土壌層が薄く,旱魃の被害を受けやすい。その土壌は石灰岩残留土壌で,一般に島尻マージと呼ばれる弱アルカリ性から中性の土壌である。なお,島尻層群の泥岩地域は未熟土壌のジャーガルとなり,島尻マージに比べると肥沃な土で,客土として利用されている。宮古諸島の海岸には,裾礁のサンゴ礁が発達し,特に池間島の北方海上約16kmにある八重干瀬は,日本最大の孤立したサンゴ礁群を形成している。また宮古島の砂山のように,各所に小規模な海岸砂丘が認められる。気候は亜熱帯海洋性気候に属し,最暖月7月の平均気温28.4℃,最寒月1月が17.3℃で,年平均気温は23.1℃となる。年間降水量は2,250mm程であるが,年によって変化が大きく,降水量の少ない年は旱魃となる。7~10月が台風の季節で,年平均4回台風が接近する。昭和41年9月4~6日の第2宮古島台風(コラ台風)は,世界観測史上第2位の最大瞬間風速85.3mを記録し,吹走時間は38時間に及び,家屋の全・半壊は7,200軒に達した。この台風を契機に,宮古島の家屋はコンクリート恒久住宅へと変化していった。夏季の終わりを告げるミーニシ(新北風)の吹出しが10月にあり,伊良部島・宮古島には渡り鳥のサシバ(鷹の一種)が大群をなして日本本土から飛来する。サシバの飛来は宮古諸島の風物詩の1つとなっている。亜熱帯性のヤブニッケイ・アコウ・ガジュマルなどの林は,石灰岩堤にほぼ限られて分布する。低平な地形や土壌条件から自然林はほとんど認められず,防風・防潮のための人工林が多い。そのためシカ・イノシシなどの大型哺乳動物は生息しないが,宮古島のピンザアブ洞穴からは,昭和55年に洪積世人骨とともに大型哺乳動物のミヤコノロジカ・ヤマネコなどの化石が発見されている。またハブ類のいない県内唯一の諸島でもある。同58年の総人口は6万2,697人で,島別では宮古島4万9,570人・伊良部島9,550人・多良間島1,838人・池間島1,269人・来間島206人・下地島156人・大神島99人・水納島9人の順になる。宮古島の平良市域を除くと,人口は減少傾向にある。農業中心の産業構造は古くから変わらず,耕地率も50%に達する農耕上恵まれた条件にある。サトウキビを基幹作物として畜産を加えた農業形態は,昭和47年の復帰後は冬・春季端境期出荷用の花卉園芸作物が急速に台頭し,変貌しつつある。カボチャ・トウガン・スイカのほか,養蚕・葉タバコ・花卉などの出荷が流通条件の改善によって進展し,サトウキビ単一耕作から,経営を複合化する農家が目立っている。近年,国・県による農業基盤整備事業が推進され,農業に明るい展望が見いだされるまでになった。畜産は,農業と結びついた肉用牛の飼育が主体で,そのほか養豚・養鶏が行われている。国・県による強力な指導によって,その振興が図られているが,価格低迷など不安定な状況に陥りやすい。一方,水産業は近海のカツオ漁を主体として,沿岸や八重干瀬などサンゴ礁での追込漁・矛突漁が古くからくり舟を利用して行われてきた。また,戦前から遠洋の基地漁業も盛んで,昭和45年からは県外資本との契約により,主としてパプア・ニューギニア付近で操業し,同55年の漁獲高は4万6,630tで,58億円の実績をあげている。このほかサンゴ礁を利用したクルマエビ・モズク・ウミブドウなどの養殖も近年盛んである。沖縄本島とその周辺や八重山諸島に比べて観光開発が立ち遅れていたが,ジェット機の就航や大型リゾートホテルの建設によって,近年急速に県外からの観光客が増大している。宮古島の砂山ビーチ・パイナガマビーチ・与那覇(よなは)ビーチなどの海水浴場,東平安名(ひがしへんな)岬から七又海岸の断崖美のほかに,史跡も多い。交通は,平良市の宮古空港のほか,下地島・多良間島にも空港があり,それぞれ那覇(なは)との直行便がある。また宮古~多良間島間にも1日1~2便が運航している。宮古島の平良港は宮古諸島の中心港湾で,那覇港・石垣港を結ぶ拠点となっているほか,多良間・伊良部島への離島航路の発着港でもある。なお,宮古島周辺の離島航路は,池間島へは島尻,来間島へは与那覇の前浜から定期便がある。




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「角川日本地名大辞典」
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