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報得川
【むくえがわ】


沖縄本島南部,東海岸に近い大里村南西部に源を発し,糸満(いとまん)市北部で東シナ海に注ぐ河川。方言ではムクリガー・ムクイリガー・ムクイルガーという。河川延長10.30km・流域面積17.62km(^2)で,河口から7.50kmが2級河川に指定されている。大里村の湧稲国(わきなぐに)の丘陵地を水源として東風平(こちんだ)町東風平・世名城(よなぐすく)を南西流し,糸満市に入って流れを西にかえ,豊原・与座・座波・大里・照屋・兼城(かねぐすく)の字界をなして埋立地の西崎町5丁目で東シナ海に注ぐ。上流の湧稲国から豊原橋(糸満市豊原)付近まではおおむね平坦な粘土風化土壌(ジャーガル土壌)地帯を流れ,河川幅3~5m・深さ1.5~2.5mであるが,80~100mm程度の降雨量でも氾濫しやすい。流域はサトウキビ栽培振興地帯で,土地改良に伴い,河川整備が進められてきた。この部分では川の名称はなく,特にヘンサ橋(東風平町東風平)から上流では各字の名称を冠した水路として取り扱われる。豊原橋から兼城橋(糸満市兼城)付近に至る琉球石灰岩地帯では,石灰岩台地を貫流する小渓谷を形成し,谷底も広く,谷壁も10~20mに達する。しかし河川整備は不十分で荒廃している。照屋の報得橋東側の小丘にある石碑の報得橋記は康煕10年(1732)の建立で,「兼城之東数百歩之地有長江焉名曰報得」とある。これは同年,従来の木橋にかえて石橋を架けたことを記したもの。下流では兼城橋以西の埋立てにより河口は1.7kmほど北へ移動している。この兼城橋付近から国道331号(埋立て前の海岸線付近)までの間に沖積地がわずかに見られる。沿岸にはいたるところに豚舎や鶏舎があり,汚排水が川の水を汚染しており,特に報得橋~兼城橋間がひどい。かつて三山鼎立時代には兼城橋付近まで舟が出入りし,左岸の琉球石灰岩の断崖上に照屋城が築かれた。南山(なんざん)により行われた対明貿易の拠点はヘーンガタ(南潟)の稲嶺や屋古の港と,報得川河口であったといわれ,河口付近にはトーシングムイ(唐船小堀)・トーシンウタキ・トーシンザキなどの地名が残っている。また河口のティンマガー(伝馬ガー)は,第2次大戦前に国頭(くにがみ)地方から薪炭・木材を運ぶ山原(やんばる)船の寄港地としてにぎわった。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7241871