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竜潭
【りゅうたん】


那覇(なは)市首里真和志(まわし)町1丁目にある池。首里王宮の北に設けられた外苑の池。池の名は,中国の王都に例の多い竜潭にならったもの。形も竜頭に似せてある。魚が多いことからイユグムイ(魚小堀)ともいう。現在の池の周囲は約416m,面積約7,574m(^2)。首里城外苑の安国山の域内に造られた。宣徳2年(1427)建碑の安国山樹華木之記碑によれば,永楽15年(1417)国相懐機が明国に派遣され,各地の名園を巡看し,帰国後,外苑の安国山一帯を整備するなかで,この池を掘ったという。以後,冊封使が到来すれば,池に3隻の竜舟を浮かべて,重陽の宴を催すのが例であった。嘉靖13年(1534)尚清王の時に来琉した冊封使陳侃は,8月29日に竜舟を見たが,舟およびその漕ぎ方は華人に倣い,漕ぐ人はすべて小吏と大臣の子弟だったと記している(使琉球録)。近世に3回浚渫されたという記録がある。第1回は万暦32年(1604)尚寧王の冊封に備えて行われた(首里魚池碑文)。第2回は康煕17年(1678)尚貞王の冊封に備えてのことで,この時は石工延べ2,295名・夫役同じく4万4,346名をもって,172日を要したという(同前)。第3回は乾隆19年(1754)のことといわれる。大正4年沖縄電気軌道が池を借り受けて遊園地とし,池中に浮御堂を建て,板橋をかけて釣り場を造るなどしたが,まもなく廃された。昭和11年首里市によって池の全面を覆っていた蓮・浮草が除去された。また同17年首里市民および学生・生徒の勤労奉仕により,数か月がかりで池底の泥を除去したこともあったが,同19年,安国山に日本軍が防空壕をつくる際,掘り出された土石の一部が池中に捨てられ,池は浅くなった。もとは首里城内の竜樋から溢れ出た清水や,円覚寺山林からの湧水がいったん円鑑池に注ぎ,竜淵橋の下をくぐって竜潭に流れ込むようになっていたが,第2次大戦後水源地が宅地化されたため流水は枯れ,池水も濁っている。同30年頃から那覇市が池の縁に土留めの石積みを設けたが,昔の景観は失われてしまった。同年安国山東部のハンタン山一帯および竜潭は琉球政府指定史跡となり,現在は竜潭及びその周辺として県史跡となっている。




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「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7242072