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大谷村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。碓氷郡のうち。安中【あんなか】藩領。村高は,「寛文郷帳」で181石余うち田方102石余・畑方78石余,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」とも同高。助郷は安中宿へ出役。宝永7年安中宿調助郷御証文写(安中宿本陣文書)によれば,その勤高111石。また明和2年の助郷人馬割付覚帳(同前)では,人足寄高370に対し割付396で26人の不足,馬寄高205に対し割付182で23頭の過重であった。幕末の改革組合村高帳では,安中宿寄場組合に属し,高181石余,家数48。明治4年安中県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。「郡村誌」によれば,戸数80・人数334,神社は上野国白山7社の1つで天正11年勧請の白山社,同社末社の諏訪社・秋葉社・御嶺社・疱瘡神社,承応4年福泉寺住僧慶雲勧請の天神社,稲荷社,寺は天文4年全貴法印中興の天台宗福泉寺,ほかに薬師堂,天正4年建立の観音堂,物産は蚕繭36石5斗余・生糸12貫余・太織105疋・薪2,235駄,民業は男が農桑薪樵を業とする者76戸,女が養蚕・織物を業とする者150人。明治9年福泉寺を仮用して大谷小学校が開校,「郡村誌」による生徒数男20・女7。同22年岩野谷村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7281930