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下間仁田村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。碓氷郡のうち。「天保郷帳」に「古者下間荷田村」と見える。はじめ旗本座光寺氏領,慶長6年幕府領,寛永10年旗本真田氏領,承応2年幕府領と旗本真田2氏の相給,宝永7年旗本曽根氏・真田2氏の相給,享保2年旗本松平氏・曽根氏の相給,同14年から幕府領と旗本松平氏・曽根氏の相給となる(安中市誌)。村高は,「寛文郷帳」で737石余うち田方387石余・畑方350石余,「元禄郷帳」で766石余,「天保郷帳」788石余,「旧高旧領」も同高。安中【あんなか】宿の定助郷村で,その勤高737石(同前)。寺社には真言宗円明寺と産土大明神(現産気大明神)・諏訪大明神があった。幕末の改革組合村高帳では,安中宿寄場組合に属し,高788石余,家数85。明治元年岩鼻県,同4年群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県に所属。同22年東横野村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7283170