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東上秋間(近代)


 明治22年~現在の大字名。はじめ秋間村,昭和30年安中町,同33年からは安中市の大字。明治24年の戸数200,人口は男484・女460,学校1・水車場7。秋間村の中心として村役場・秋間小学校・秋間郵便局があった。同41年飽馬信用組合,同43年飽馬組などが創立。明治初年から石尊山の下の風戸山から通称秋間石(安山岩)が切り出され,昭和15,6年頃から昭和21年頃まで採石されていた。高崎の15連隊の建物を造る時にも出荷したといわれ,松井田から高崎・前橋などの石屋へ出荷し,盛時は安中駅から貨車で送られた(安中市秋間の民俗)。昭和22年旧青年学校と小学校の一部校舎を使用して秋間中学校が発足,同31年新校舎を建設,移転したが,昭和46年3月廃校となり,同年4月第一中学校に統合された。同49年中学校跡地へ秋間小学校が移転,小学校跡地には,市営秋間住宅団地・秋間中央保育園・秋間公民館・秋間民俗資料館などができた。同61年日本鉄道建設公団から国への北陸新幹線工事実施計画の認可申請が提出されたが,その中に,高崎~軽井沢(長野県)間の中間に新安中駅建設の計画が公になった。安中市内通過は約6.7kmで,5か所のトンネルが通じ,新駅は東上秋間の長岩から野村の方を結ぶ県道東上秋間原市線沿いといわれる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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