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利尻島
【りしりとう】


稚内(わつかない)市の宗谷岬南西海上52kmにある島。全島をもって利尻郡を構成,宗谷支庁に属し,利尻町・東利尻町からなる。サロベツ原野の西方19kmの日本海に利尻水道を隔てて浮かぶ。利尻礼文サロベツ国立公園のうち(昭和49年指定)。面積182.8km(^2),短径16.5km,長径18.3km,周囲60km。島そのものが円錐火山の利尻山(1,718.7m)からなり,山頂から標高300~400mまでは極めて急峻であるが,すそ野は緩やかな傾斜で海に臨む。地質は第四紀初期の火山活動で生成された溶岩流や扇状地堆積物からなり,肥沃とはいえない。島全体の岩石は風化が進んで奇岩を呈し,海浜は岩浜で,所々に礫浜・海岸段丘・海食台・海食洞もみられ,山麓にはポン山という寄生火山が数個ある。北に直径250mの姫沼,南に直径400mのオタドマリ沼があり,利尻富士観望の地となる。谷は深くV字に切れこんで壮年期の様相をみせ,水流は伏流して豪雪時や融雪期にのみ水が流れる涸川となる。至る所にトドマツ・エゾマツなどの原生林がある。利尻山の高山帯には種々の高山植物がみられ,南斜面はチシマザクラの自生地として昭和43年道天然記念物に指定された。ウミネコ・ウミウなどの海鳥のほか,コマドリ・ウグイス・ヒバリなども多数生息する。島の玄関は鴛泊(おしどまり)と沓形で,稚内・礼文・小樽との間に定期航路がある。本泊には昭和37年に開港した利尻空港があり,稚内との間に定期航空路をもつ。利尻島への人類の居住は先史時代にさかのぼり,オホーツク文化期の遺跡が発見され,長くアイヌが居住していた。宝永3年,能登の人村山伝兵衛が松前藩からソウヤ場所の漁場請負人を命ぜられたのが和人による開発のさきがけ。文化5年ロシア武装船の来襲に対し,幕府から出兵を命ぜられた会津藩士が滞陣数か月の間に水腫病に罹り多数が死亡した。その墓石は今も鴛泊と本泊に所在する。明治13年頃からニシン・コンブを中心に漁業の開発が本格化したが,ニシン漁は明治中期~大正期の盛時以降次第に減少して昭和30年以後魚影は絶えた。現在はホッケ・タラ・タコ・カレイなどの沿岸漁業とウニ・コンブなどの前浜漁業が盛んで,特に利尻コンブは良質さで知られる。国立公園指定後,日本最北端の観光地として全国の注目を浴び,観光客も急増している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7600469