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早月川
【はやつきがわ】


魚津(うおづ)市と滑川(なめりかわ)市の境を北流する2級河川。古くは延槻(はいつき)川といった。流長約27km。剣岳(つるぎだけ)に発する白萩(しらはぎ)川が早月尾根の北側でブナクラ谷の水を合わせて西流し,早月尾根南側の立山(たてやま)川を馬場島(ばんばじま)で合流,さらに大日(だいにち)尾根北斜面の水を集めた小又(おまた)川を合わせて早月川となる。平均勾配8.3%の急流で,片貝(かたかい)川とともに日本屈指である。上流の支流白萩川と立山川は剣岳登山路として用いられるが雪渓が多い。水源には早月川第1・第2の発電所をはじめ8つの発電所がつくられ,総発電量5万2,000kw。沿岸には河岸段丘が発達,山麓では扇状地を形成。扇状地面は砂礫層で,しかも耕土が浅いため,昭和34年から流水客土事業が行われた。現在本流は扇状地の東縁を流れ,魚津・滑川(なめりかわ)両市の境界とされている。早月川は上代には「ハヒツキ」と呼ばれており,越中守大伴家持の「立山の雪し来らしも波比都奇の河の渡り瀬鐙浸かすも」(万葉集17)と見える。「ハヤツキ」と呼ばれるようになった時期は定かではないが,「仙覚抄」に延月川を早月川に比定し,寛正6年の堯恵「善光寺紀行」に「早槻川はいずくぞというに,言い明らむ人もなくて止みぬ。……宿る影消ゆれば名のみの有明のはやつき河の波の上かな」とあり(群類),同じ堯恵の文明10年の「北国紀行」には「早槻川を過ぎて霖雨未だ晴れず 旅の空晴れぬ眺めにうつる日もはやつき河を越ゆる白波」とある(大日料8-18)。室町期には「ハヤツキ」と呼ばれていたことがわかる。また現在の早月川の表記は「宝暦十四年調書」にもまた天保7年の「新川紀行」にも早月川と記されていることから,江戸中期以後には一般化していたと思われる(越中志徴)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7602946