雛鶴峠
【ひなづるとうげ】
秋山山地の高畑山(981.9m)と道志(どうし)山地の赤鞍ケ岳(1,299m)を結ぶ稜線の鞍部。標高約800m。都留(つる)市古川渡・朝日馬場・朝日曽雌と秋山川の南都留郡秋山村を結ぶ県道四日市場上野原線が通じる。現在は雛鶴隧道が通じ,秋山村と都留市とを結ぶ要所である。また昭和60年開通を目標に新雛鶴トンネルの工事が進行中である。当峠東麓の集落には以下の伝えがある。建武2年7月,護良親王は鎌倉の土牢で足利直義に殺害された。親王の寵姫雛鶴姫は従臣藤原宗忠・菊池武光・馬場小太郎らと親王の首級を奉じて逃れ,鎌倉街道を甲斐国秋山村に入った。このとき姫は産気づき民家に休養したいと願ったが,後難を恐れて村人は誰一人宿を貸す者もなく,以来集落名を無情野といい,のちに無生野となった。やむなく姫は山頂に至り,王子を生み,王子の死と前後して姫はここで亡くなり,従者は農民として土着したと伝えられる。当峠の西麓の朝日曽雌に雛鶴神社があり,護良親王の守護神天神を祀る。
| KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7603483 |