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揖斐川
【いびがわ】


古くは伊尾川とも書き,上流部では久瀬ともいった(新撰美濃志)。木曽三川の1つ。岐阜県西濃地方を北から南へ流れ,当県北東部で伊勢湾に注ぐ川。1級河川。流長121km・流域面積1,840km(^2)。岐阜・福井両県境にある越美山地の岐阜県揖斐郡徳山村高倉(こくら)峠(964m)の東斜面に源を発し,揖斐峡から濃尾平野に入り,安八(あんぱち)郡,輪中地帯を経,さらに養老郡を流れ,当県桑名郡多度町平賀からは三重・岐阜両県境をなす。また,岐阜県海津町油島からは長良(ながら)川と並流し,油島千本松原締切堤にある宝暦治水碑付近から当県に入り,多度町上之郷で多度川を合わせ,桑名市東端で長良川と合流し,伊勢湾に流入する。上流部は断層地帯で本支流の流路は断層線に沿う。特に支流の根尾川の流路を決定している根尾谷断層(岐阜県本巣郡根尾村能郷―同村樽見―同郡本巣町金原)は明治24年10月28日に濃尾地震(M8.4)をひきおこし死者4,984人を出した。この地震により断層線に沿って崖が生じ,昭和27年に特別天然記念物に指定された。本支流には2~3段の河岸段丘がみられ集落が立地している。また,年降水量3,000mm以上の多雨地帯でもある。昭和38年岐阜県藤橋村に横山ダム(発電量7万kw)が建設され,多方面に利用されている。さらに上流の岐阜県徳山村に徳山ダムが計画されている。中流域では自噴井がみられる。特に水都と呼ばれる岐阜県大垣市は豊富な地下水を利用して繊維工業が盛んとなった。同市から南は輪中地帯となる。輪中地帯は「四刻 八刻 十二刻」といわれ,上流域に豪雨があれば,四刻(8時間)して揖斐川に,八刻(16時間)して長良川に,十二刻(24時間)して木曽川に出水するという意味である。木曽三川が合流する下流部では標高の低い揖斐川の負担が特に大きく,水害は木曽川・長良川よりも多かった。木曽三川下流では洪水から集落・耕地を守るために約80の輪中が形成された。屋敷の北西端には一段と高く盛り土をした上に水屋を建て,また,上げ船を用意して洪水時に備えた。輪中堤内は河川水面よりも低いところも多く,排水困難な悪水から水枯れを防ぐために水田面をかさ上げした堀田もみられた。江戸期には治水工事が何回も行われたが,その最大のものは宝暦4~5年の薩摩藩の御手伝普請による宝暦治水である。しかし,薩摩義士の努力にもかかわらず,その後も洪水被害は少なくならず,抜本的に解決されたのは明治期になってからである。明治政府はオランダ人技師ヨハネス・デレーケらを中心にして設計をたて,明治20~33年にかけて三川分流工事が完成した。この時,桑名市の揖斐川右岸堤防には1万本の桜が諸戸清六氏により植えられ桜堤防と呼ばれ,市民に親しまれた。しかし,伊勢湾台風により被害を受け,復旧工事の際に桜はすべて切り取られてコンクリート堤に変わった。江戸期には揖斐川の水運は栄えた。現在の揖斐川町房島,大垣市船町,養老町舟付・栗笠・烏江・平田町今尾(以上岐阜県),桑名郡多度町香取などには河港があり,桑名市の川口港と結びついていた。しかし,東海道本線の開通(明治20年)や自動車交通の発達により,昭和初期には衰微した。現在では揖斐川沿いに国道258号(大桑国道)が走り,大垣と桑名を結んでいる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7604357