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又口川
【またぐちがわ】


銚子川の支流。尾鷲(おわせ)市北部山地から北牟婁(きたむろ)郡海山(みやま)町南部山地へ東流する。2級河川。2級河川に指定された部分の流長は,又口川8.7km・古和谷5.1km・クチスボ谷2.6km・京良谷2.1km,流域面積の公式計測未了。当川の谷底がほぼ境界となり,北側に第三紀噴出の黒雲母花崗斑岩,南側に褶曲や断層の著しい中生代堆積岩がある。下流の海山町域では黒雲母花崗斑岩をうがった先行谷となっていて,魚飛(うおとび)渓と呼ばれる。支流には,北側の古和谷・京良谷・柳ノ谷・桃ノ木谷,南側のクチスボ谷・中村谷・栗ノ木谷などがある。川名は,奈良県境,柳ノ谷との合流点に又口という集落があることにちなむ。又口は合流点の意。また,柳ノ谷は,吉野側,右岸側で竜ノ谷と書いたのと区別して,尾鷲領側,左岸側を同音異字としたものである(地名の由来)。古和谷の山林は近世,御留山と称された紀州藩有林であったが,明治7年国有林に編入された。現在の国有林は,古和谷とその西隣の京良谷にある。柳ノ谷は,30年間の境界争いの後,元禄13年に決着,それが紀伊と大和の国境確定になり,現在は三重・奈良両県境ともなっている。流域中,現在の尾鷲市域部は御留山を除き,中井浦・堀北浦・南浦・林浦・野地村・向井村・矢浜村・天満浦・水地浦の尾鷲九ケ在入会の立会山という形の共有林域北西部に当たり,荘園的遺制が近世に存在したものといわれる。現在も水源涵養,山地災害防止を兼ねた尾鷲材の生産機能を堅持している。明治28年尾鷲中井浦坂場から何枚田を登って坂下(さかげ)峠に達し,坂下隧道を抜いて又口川流域に入り,祖父木屋(じやごや)・矢所を経て又口に至る7,165間の道路が立案され,トンネルは同33年に開通した。又口川・熊野川の源流部の林業開発を目指したもので,トンネル入口の坂下隧道の文字は当時の知事小倉信近の書である。同44年,オメギ山を貫いて約4km短縮した坂下新隧道(延長332m)が開通して,天然林の伐採と尾鷲港への搬出を盛んにした。同38年柳ノ谷から奈良県吉野郡上北山村出合まで延長6kmの柳ノ谷索道が土井八郎兵衛らの出資で完成。また,同30年頃から同末年にかけて熊野川流域の木組・出合間の軌道や川原木屋・又口間の索道が開設された。次いで,大正元年尾鷲座ノ下から矢所・京良谷を経て,上北山村柳ノ谷(竜ノ谷)に至る坂下索道7.2kmが設けられた。同4年には矢所~柳ノ谷間の索道4.8kmを廃して,6.2kmの軌道に変更し,社名も尾鷲索道株式会社と改称。伐採された天然木は,牛馬車とこれらの索道・軌道によって尾鷲港に搬出された。北山索道株式会社が,同8年何枚田から坂下峠を経て京良谷駅・古和谷駅,出口峠を経て平谷駅,尾古谷・荒谷峠を経て風折駅から河合に至る延長1万8,752mの大型索道を完成,板・丸太・角材・薪炭などを尾鷲港に出荷し,揚げ荷として食料品や日用雑貨を運んだ。これらのうち軌道は昭和8年頃全廃されて自動車輸送に変わり,伐採できる天然林の減少で,同10年頃には北山索道も衰微し,三国木材株式会社の所有となった。現在はトラックの走る林道として整備されている。大正8年尾鷲電気株式会社又口川水力発電所が矢所地内の又口川左岸,古和谷合流点上に完成した。又口川をせき止めて取水し,2.9kmの導水路を設け,落差15m,出力145kw。この取水ダム跡は今も残っている。同じ矢所の又口川とクチスボ(口窄)谷の合流点には,昭和36年にクチスボダムが完成。ダムの高さ35m,貯水池の有効容量69万m(^3)。この水を使う出力2.5万kwの北山川電源開発株式会社尾鷲第二発電所も新田地内の中川(なかご)左岸に同年竣工。翌37年には,同社尾鷲第一発電所が京良谷地内の又口川左岸,又口川と京良谷の合流点の北北東475mの地点に完成。奈良県北山川水系の坂本貯水池などからの用水トンネルの水を使い,落差230m,出力4万kw(尾鷲市史)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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