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金剛山
【こんごうざん】


「こんごうさん」,古くは「こんごうせん」ともいう。金剛山地の中央部に位置する主峰。府下の最高峰で標高1,125.3m。北は水越峠を挾んで葛城(かつらぎ)山と対し,南は紀見(きみ)峠で和泉山脈に連なる。南河内郡千早赤阪村・河内長野市,奈良県御所(ごせ)市・五條市の境界付近にまたがる山。頂上は3つのピークに分かれ,最高峰が葛木岳で1,125.3m,1,112.2mの一等三角点がある峰が湧出岳,1,094mの第三の峰が大日岳と呼ばれているが,いずれも奈良県御所市に属している。水越峠から最高峰を通り南北にのびる主山稜は,領家花崗岩類からなり,東の奈良県側の山腹は急傾斜をなし,西の大阪府側は比較的ゆるやかな傾斜面をもつ。成因については,傾動地塊説,基盤の褶曲説などがある。千早峠から南の主山稜は西方向に続き,紀ノ川沿いの中央構造線と並行して紀見峠に至る。この部分では和泉層群に属する礫岩層がみられる。山腹は,ほとんどがスギやヒノキなどの植林におおわれ,山頂の葛木神社・転法輪寺付近には巨樹からなる社寺林があり,そのまわりをブナの自然林がとり囲んでいる。かつて金剛山を中心とする金剛山地およびそれに続く和泉山脈全体は葛城山と呼ばれており,金剛山は高天(たかま)山・神祇宝(しんぎほう)山・金剛山(こんごうせん)・金剛峰・一乗峰など種々の名称で呼ばれていた。金剛山というようになったのは江戸末期の頃からである。葛城の山々は,修験道の山であり,役小角はこの山域で修行したと伝える。金剛山頂にある転法輪寺は,古くは金剛山寺といい役小角の開基とされ,明治以来廃寺であったが,昭和37年に再建された。南北朝期,金剛山を中心とする地域は楠木氏の根拠地であり,頂上北側の摂河泉を一望できる場所には金剛山城(国見城)跡があるほか,西側山腹には,元弘の乱のさいに楠木正成が幕府軍を相手に立てこもったことで知られる千早城跡や上・下赤坂城跡などがある。さらに西麓一帯には,楠木氏とゆかりの深い建水分神社や延命寺,楠木氏の菩提寺である観心寺などがある。金剛山は,行楽の山として多くの人々に親しまれ,年間100万人を超える人々が登山する。特に冬季は,樹氷見物,地元小・中・高校生徒の耐寒登山などでにぎわう。西麓の千早からは,千早赤阪村営のロープウエーが頂上近くまで通じており,府営の宿泊施設などもある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7604907