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夜久野高原
【やくのこうげん】


朝来郡山東町・和田山町と京都府夜久野町との間にかけて広がる溶岩台地。但丹の国境となっている。上下2段の台地からなり,高位の夜久野ケ原,低位の大油子野と分ける場合もある。中央北部には田倉山があり,金比羅山・大師山などの小丘もある。火山活動は洪積世中期とみられ,3回の噴出をしている。台地中央部での溶岩の厚さは85mに達する。周辺には火山活動期に堆積した夜久野ケ原層が分布している。玄武岩台地の上にある菖蒲谷遺跡に縄文早期の土器・石器がみられ,縄文晩期の住居跡も確認されている。古墳時代にはいくつかの古墳も形成されたが,台地上の開発は遅れ,長く荒れ地で残されていた。応仁の乱の際には夜久野高原も戦場になった。小倉には当時の首塚・胴塚と伝えられるものがあり,茶堂前には追善供養塔がある。西国巡礼が盛んになると,播州書写山から丹後成相山を結ぶ巡礼路なりあい道が台地の北部を通過した。現山東町から夜久野直見谷を経て但東町久畑へ抜けるもので,台地上には多くの道標が残されている。信濃の旅人貞心が,諸国を巡礼の後この地に来て原野が広く,水がなく,巡礼が難渋しているのをみて,田倉山の南にある長者が谷から水を引き,ここに茶堂を建て,巡礼に供した。以降,茶堂付近には小集落が形成された。第2次大戦後開拓が行われ,台地東部の大油子野では,牧川からの給水により水田化が進んだ。また,西部の夜久野は水の供給がなく,果樹園・畑作地として利用されている。兵庫県側では白井(和田山町)からの出作りで,酪農あるいは飼料の作付けが行われ,また,県立林業試験場緑化センターがある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7605200