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常山
【つねやま】


角山(つのやま)・恒山(つねやま)とも称した。玉野市と児島郡灘崎町にまたがる山。標高307.3m。はげ山で知られた花崗岩地形の玉野市には珍しく,古生層の地形であるために浸食されにくく円錐形の美しい景観を呈している。古生層地質であることも一因となって樹木が繁茂して,児島富士の名で親しまれてきた。江戸期岡山藩主左少将池田継政の歌「夕されば汐風までもさえさえて先常山に降るる白雪」も残されている。頂上には常山城跡があり,天正3年の常山合戦の折,わずか4日で落城した。頂上の本丸跡に城主の腹切岩,二の丸跡に城主の妻鶴姫を記念した女軍の墓が苔むした石垣とともに往時の古戦場をしのばせている。また,江戸期には,池田家の藩有林となり,山番が用吉に置かれ,山頂部に矢竹(箆竹)が群生し郡奉行の支配を受けている。藩有林として保護された松の大樹林は,明治末期に伐採されたが,ふもとの家に残る餅搗臼に当時をしのぶことができる。大正10年旧荘内村宇藤木の有力者大野幸太郎氏が中心となり,常山城跡保勝会がつくられ,岡山工兵第17大隊の協力により登山道(らせん道)が完成し,迫川駅から山頂まで自動車で登れるようになった。城跡に百畳敷の大広間と茶室のある常山閣,城主の一族と34人の女軍の墓がつくられ,すべり台などの遊具も設置された。その後桜も植えられ,常山合戦の古戦場としての千人岩,飲料水の底なし井戸,山麓にある戸川秀安(幽林)の墓などが大々的に顕彰された。明治43年の国鉄宇野線の開通後常山を史跡公園として,瀬戸内海や岡山方面が展望できる観光地とする試みであった。土地所有の面で藩有林の名残か,大部分が市有・町有林となっており,入会林として地元民が下草刈りを行っていたが,近年その慣行もみられなくなり,山はしだいに荒れてきている。昭和18年頂上に無線の中継所が置かれ,マスコミの一翼をになっているが,花見シーズン以外には訪れる人も少なくなっている。近年二の丸跡の女軍の墓の前で地元婦人会の有志が,お盆には「かっからかー」の地踊りを奉納し,古戦場常山を見直す動きがでている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7605932