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大歩危
【おおぼけ】


四国中央部,吉野川の横谷にある我が国の代表的な峡谷。三好郡の山城町と西祖谷山(にしいややま)村の境界に位置する。景勝地として知られる。「ぼけ」は「ほき」「はけ」と同意語で,断崖や急斜面を指すことばである。歩危は当て字であるが,道路が整備されていなかった藩政期には,文字どおり歩行にも危険がつきまとい墜死するものが毎年多数あったという(阿波名勝案内)。一般に,下流側の小歩危と合わせて大歩危小歩危の名で親しまれている。名称由来は大股で歩いても,小股で歩いても危険を伴ったため生まれたといわれているが必ずしも定かではない。大歩危の成因には,地質時代に比較的平坦な地形であったところが隆起をはじめ,以前から流れていた古吉野川がこれに抵抗して下刻を続けたため,現在のような比高1,000mにも及ぶ深い谷を形成したという先行性河谷説がとられているが,積載谷(表成谷)説も考えられる。大歩危の中心は,吉野川左岸支流の藤川谷川合流点より下流約2kmの間で,遊覧船はこのうち1.5kmの間を往復する。遊覧船折返点付近に,地質学で有名な大歩危背斜軸が通る。付近の地層は緩傾斜しているが,軸から離れるに従い北は北傾斜,南は南傾斜が明確になり対照的な構造をみせる。周辺の岩石はほとんど砂質片岩であるが,遊覧船発着場付近の岩場と上の国道脇には三名含礫片岩があり,後者には県天然記念物表示の案内板がある。往時右岸の通路は尾根伝いに国見山頂を越えるものであったが,文政10年藩主蜂須賀斉昌のかずら橋巡遊を機会に,三好郡池田町川崎と西祖谷山村後山を結ぶ川崎新道が中腹に通じた。四国の南北を結ぶ大動脈国道32号の前身の三好新道は明治22年に,国鉄土讃本線は昭和10年に開通した。落石・崩壊によりしばしば不通となるため,徹底した防災対策がたてられている。奇岩・怪石が清流に映え,新緑・紅葉期には絶景をつくり,剣山国定公園の一部となっている。昭和49年祖谷渓有料道路が開通し,祖谷渓~かずら橋を結ぶ周遊コースが可能となった。大歩危・小歩危の観光客は年間67万人(昭和58年)と概算される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7606429