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中村平野
【なかむらへいや】


県西部,中村市南部から宿毛(すくも)市東部に展開する平野。四万十(しまんと)川下流およびその支流後川,中筋川の沖積した低地で,平野は各所に断層が走り,複雑な構造をなしている。宿毛市片島北部の新城山(302.8m)から中村市具同の高森山(331m)に至る低山性の山列南縁を走る国見断層,その南部の貝ケ森(454.6m)山地北縁を走る江ノ村断層が,東西にほぼ並行に走っている。この両断層の間に宿毛湾から幡多郡大方町に至る中筋地溝帯がある。また,中村市古津賀付近から土佐清水市布にのびる布断層,北に向かう観音寺上田ノ口断層,その西の佐田断層などがある。基盤岩石は各断層によって境され,布断層から東,後川合流点付近から下流は第三紀始新世清水層,中筋川流域の大部分および四万十川,後川の平野部は白亜紀四万十層群で構成され,その上に沖積層が分布している。沖積層は厚く,四万十川橋付近で50m以上,中筋川の国見で32m以上,有岡でも20m以上とみられている。沖積層のボーリング結果によると,中筋川・後川ではシラス層・シルト層が厚く,浅い層にも貝殻を多く含む。四万十川では,洗い流されたのかシラス,シルト層はみられず,粘土混じり砂礫層か砂礫層で占められ,20m近くで貝殻がみられる。平野は地形学上,四万十川および後川流域と中筋川流域に分けられる。四万十川および後川流域の平地は,川沿いや合流点にみられる氾濫原の集まりと,角崎から河口間にみられる溺れ谷地形の名残で,左岸の井沢・竹島・鍋島,右岸の山路(やまち)・実崎(さんざき)・間崎などの小平地が,それぞれの間に突き出した,低い山または丘によって区切られながら,帯状に分布している。一方,中筋川流域は,宿毛湾から大方町南部に至る地溝帯で,宿毛市押ノ川付近の市山峠(48m)が,松田川との分水嶺をなしている。地溝帯の傾斜は少なく,中筋川の河床勾配は1,200分の1~8,000分の1,水面勾配は4,600分の1~1万4,700分の1で,排水はきわめて悪い。この両流域は典型的な氾濫原地形を呈し,随所に自然堤防や後背湿地がみられる。近年は築堤や農地整備が進み,自然地形は少なくなっている。気候は穏やかで,年平均気温は16.6℃,最寒月の1~2月の平均気温は6.5℃,年降水量は2,800mm前後を記録する。平野は肥沃な土壌に覆われ,農耕の適地であるが,古来,氾濫が繰り返され,農業経営を阻害してきた。江戸期,野中兼山による中筋川の改修や小築堤などの洪水対策も行われ,四万十川支流の後川や,後川の支流岩田川などに堰を設け,利水の便も図られた。昭和4年治水対策は国の直轄工事となり,曲流部の改修,合流点の付替えなどの排水工事,大規模な築堤が施され,最近は洪水の被害は少なくなった。明治期から昭和初期にかけて低湿地では杞柳栽培も導入されたが,現在では早期水稲を中心として,藺草・タバコ・野菜が作られている。水害などのため作物はほとんどが稲作で,全般に生産性は低い。最近では作付時期を早め,洪水期をずらした収穫を目指し,キュウリ・ピーマン・トマト・ショウガなどのハウス栽培がみられる。平野周辺には中村貝塚をはじめ,縄文・弥生時代の遺跡や古墳も多く,特に西部の宿毛市平田の曽我山古墳は県下最古最大のもの。平野の中心地中村は,応仁2年応仁の乱を避けて,京都から下向した一条教房の居所を中心に発達した歴史的都市で,土佐の小京都と呼ばれるが,昭和21年12月21日の南海大震災で町は壊滅的な打撃を受けた。市街地周辺の具同や古津賀で住宅地化など,都市化が進んでいる。昭和45年10月,国鉄中村線が開通,国道56号が通り,同321号,同439号の起点地として,また,外港下田を有し,県南西部の交通の結節点をなし,中核都市となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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