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下甑島
【しもこしきじま】


川内(せんだい)市の約25km西方海上にある島。甑島列島最南端に位置する。面積57.6km(^2)。薩摩郡鹿島村・下甑村からなる。列島中最大の島。甑島の名は「続日本紀」に甑隼人のことがみえ,郡名としては宝亀9年「遣唐第四船来泊,薩摩国甑嶋郡」(続日本紀)とあるのが初出。鎌倉期のはじめには甑島地頭が置かれ小川氏が封をうけている。慶長16年鹿児島藩の直轄領となり,本田親政が初代の移地頭に任ぜられ,明治維新まで移地頭が置かれたのは長島と甑島だけである。甑島は古来より2島からなると考えられ,「三国名勝図会」に「甑島,当島は二島相並び上甑,下甑と号す……甑島は上下二島の総称なり」とある。建久8年の図田帳では甑島を2か村に分け,寛文4年「薩藩旧記追録」には「甑島郡二箇村」とあって甑島郡を上村と下村に分けている。下村にあたるのがこの下甑島である。下甑島は明治2年には手打・片之浦・青瀬・瀬戸浦・長浜の各村ができたが,同14年甑島郡となり,同22年下甑村となる。同24年藺牟田区が分村し鹿島村となる。下甑島の主軸は下甑村と鹿島村との境界にある尾岳を主峰として青瀬岳・口岳・勝山が尾根をなし,それが東西の急傾斜となし海に迫る。島全体としては一種の傾動地塊をなし,特に西海岸は集落のある部分を除けば断崖絶壁をなし,東海岸は一部を除いて傾斜も緩やかで港湾部にわずかな平地がみられ手打・青瀬・長浜などの集落をみる。下甑島最大の集落は手打で星・中甑とともに地頭所が置かれたところで麓集落がみられる。甑島地頭はこれら地頭所を順次回勤していた。宝暦6年の郷士数424人(島津藩分限書)。西岸にみられる内川内は瀬々浦を親村とする小村,東岸の芦浜は長浜を親村とする。片野浦にはクロ宗がある。長浜・青瀬では土地割替制がみられ,ともに3年に1回の共有田の割替で長浜では籖,青瀬では入札制である。北部の鹿島村ではフノリ採取のための「磯割り」割替利用の慣行がある。明治19年不作不漁のため400戸ほどが種子島へ集団移住した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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