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意外に新しいインカ、アステカ帝国


意外に新しいインカ、アステカ帝国

◎個性的だったアメリカの諸文明

 アメリカ大陸のもともとの住人は、海水面が低下した氷河期にユーラシア大陸から移住してきたモンゴル系の人々である。農耕文化が発達したのは、メキシコ高原、中央アメリカ、アンデス高地の3か所で、それ以外の地域では狩猟、漁労、採集の生活がなされていた。

 アメリカ大陸は、ユーラシア大陸とは切り離されていたので、麦や米の栽培に依存するユーラシアの農業とは違った農業が展開された。トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、トマト、トウガラシ、カボチャ、パイナップル、アボガドなどは、もともとアメリカ大陸の特産であり、コロンブスの航海以後にユーラシアに伝えられた。金、銀、青銅などは細工物の原料としては用いられたが、生産用具としてはほとんど使われていなかった。また、石造技術、土木技術などは高い水準に達していたものの、鉄器は用いられず、車輪が利用されることもなかった。

◎1か月が20日だったアステカ文明

 この地域における最初の農耕文化は、前9世紀にメキシコ湾沿岸の沖積平野(オルメカ)で始まった。前2世紀から7世紀まで続いたメキシコ高原の「テオティワカン文明」は、メキシコシティの北東40キロに位置する人口20万人の都市テオティワカンを中心とする文明で、はるかグアテマラまでをも交易圏に入れていた。

 テオティワカンは、北の月のピラミッドから幅40メートルの「死者の道」が南に向かって2キロも延びており、高さ65メートルもある太陽のピラミッドが建造されるなど、すぐれた都市計画をもっていた。

 その文明を継承した「マヤ文明」(6~14世紀)の諸遺跡は、メキシコ南部からグアテマラ、ホンジュラスの熱帯雨林地帯に残されており、各都市には頂上に神殿が建造されたピラミッド、宮殿、天文台などがつくられ、高度に発達した絵文字、精密な暦などもつくられていた。

 12世紀ごろにメキシコ高原に移住したアステカ族は諸都市を征服して大勢力となり、14世紀にテスココ湖上の島に首都テノチティトラン(現メキシコシティ)を建設した。この都市は、人口30万人を数えた。「アステカ帝国」では、20日を1か月とし、18か月に暗闇の5日を組み合わせて365日とする独特の暦を使用していた。

◎15世紀に強大となったインカ帝国

 中央アンデスでは、メキシコ高原から伝えられたトウモロコシ、ジャガイモ栽培をもとに、前10世紀ごろには「チャビン文化」が形成され、紀元前後には都市も建設されるようになった。その後、土木技術が発達するとアンデス高地には大規模な潅漑施設がつくられ、リャマやアルパカの家畜化も進んだ。

 1200年ごろにクスコを首都とする「インカ帝国」が勢力を拡大し、15世紀には北はエクアドルから南はチリにいたる南北2000キロ、人口2000万人以上という大帝国に成長した。インカ帝国では諸王を統合するインカ(皇帝)は太陽神の直系の子孫(太陽の子)とされ、法律も彼により制定されていた。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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