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スペイン人によって改造されるアメリカ


スペイン人によって改造されるアメリカ

◎簡単に2大帝国が滅ぼされたワケ

 メキシコ高原のアステカ帝国は、1519年に500名の兵士、16頭の馬、約50丁の銃をもってユカタン(現地語で「え、何ですか」の意味)半島に上陸したコルテスによって滅ぼされた。

 コルテスは、アステカ族に恨みをもつ女性マリンチェの助けをかりて巧みに反アステカ族の同盟を組織し、1521年に首都テノチティトランを占領・破壊した。

 こんなに簡単に帝国が滅ぼされたのにはワケがある。アステカ帝国には、神々の戦いに敗れて追放された肌の白いケツアルコアトルという神が復帰してアステカ帝国を支配するとされており、奇妙な格好をしたスペイン人の一行は、その神と間違えられてしまったらしい。

 さらに、第2のコルテスになろうとして「エルドラド」(黄金郷)を探していた、やはりスペインのピサロは、1531年に180名の兵士、27頭の馬を率いてパナマを出発し、インカ帝国に入った。彼は、兄弟がインカ(皇帝)の地位をめぐって対立し、帝国が混乱状態にあったことを利用して、会見を装いながらインカを捕虜にし、生き神とされたインカを巧みに利用して1533年にはインカ帝国を滅ぼした。両帝国の滅亡の背景には、スペイン人が持ち込んだ天然痘の流行があった。

◎収奪されるインディオ

 アメリカ大陸の二つの文明を滅ぼしたスペインは、「エンコミエンダ」(委託、信託)制度を実施して、先住民族であるインディオを奴隷化する。この制度は、移民たちがインディオをキリスト教徒に改宗させる見返りに、強制労働を課す権利を国王から認められるというもの。それは、インディオの奴隷化を合法化していた。

 インディオは、スペイン人の苛酷な収奪にさらされ、彼らがもち込んだ天然痘、破傷風などにより大量に死滅した。16世紀にマヤ、アステカ、インカの総人口は7000万人から9000万人の間であったと推測されているが、わずか百年後の17世紀には約350万人に激減してしまったのである。

◎悲劇的な黒人奴隷の貿易

 そのためもあって、17世紀にはいると「アシェンダ」といわれる、移民の子孫を地主とする大土地所有が普及した。それは当初、国王が土地と土地の支配を委託する制度だったが、後には私的な大土地所有を指すようになった。アルゼンチンの大草原ではガウチョ(混血の牧童)の労働による牧場、メキシコ高原では、インディオをペオン(債務奴隷)とする大農場、インディオがほとんど死滅してしまった西インド諸島では黒人奴隷をアフリカから導入して砂糖のプランテーションが広がった。

 砂糖のプランテーションで使役する黒人奴隷の貿易は、実に悲惨だった。16世紀から18世紀にかけて3000万人から6000万人にも及ぶ黒人がアメリカ大陸に向けて積み出され、そのうちの3分の2が航海の途中で命を落とし、海中に捨てられたとされる。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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