ケータイ辞書JLogosロゴ 赤羽根村(近世)


神奈川県>茅ケ崎市

 江戸期〜明治22年の村名。相模国高座郡のうち。寛永10年幕府領と旗本安藤氏・蜂屋氏・内藤氏・大橋氏知行,元禄10年旗本安藤氏・蜂屋氏・内藤氏・大橋氏・神尾氏・木原氏知行,幕末には幕府領と旗本蜂屋氏・神尾氏・安藤氏・戸田氏・木原氏知行。村高は,「元禄郷帳」479石余,「天保郷帳」488石余,「旧高旧領」504石余うち幕府領43石余・蜂屋氏知行200石・神尾氏知行100石余・安藤氏知行26石余・戸田氏知行21石余・木原氏知行110石余・神明社領1石余。検地は天正19年,幕府領が寛文10年,神尾氏知行が延宝3年に行われた(新編相模)。天正19年5月3日安藤定次への知行宛行状に「一,拾八石五斗 赤羽根之内」と見え,その後寛永2年7月27日の知行宛行状は村内のうち21石余が内藤政嗣,同じく20石余が安藤正珍に宛行われている(記録御用所/県史資8上)。「新編相模」によれば,江戸から13里,東西28町余・南北16町余,家数87軒,地内南を大山道が通る。また鎮守は神明宮,ほかに御岳社・第六天社・山王石神合社がある。寺院は曹洞宗稲荷山宝積寺・浄土宗西光寺,ほかに阿弥陀堂・観音堂・薬師堂がある。また神明宮の別当寺に古義真言宗満蔵寺がある。宝積寺は慶長2年に冷室長厳が創建し,西光寺は徳治2年の創建と伝え神尾氏女性の墓がある。神明宮は慶安2年に社領6石をうける(茅ケ崎市史3)。寛文10年幕府領の検地では,110石余・18町7反余,延宝3年神尾氏知行の検地では18町8反余を打ち出す(同前4)。元禄7年から藤沢宿大助郷村,延享2年からは同宿定助郷村となる(同前4)。元和年間には村内が上・中・下村へ分かれており,正保5年当時上村35人・中村25人・下村20人の氏子がいた(神明宮棟札)。幕末には養蚕がひろまっていたと考えられる。名主小沢家からは歌人村野もと子が出ている。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。同3年の戸数87・人口583,牛1,馬4(茅ケ崎市史1)。「皇国地誌」によれば,税地199町6反余うち田21町9反余・畑108町6反余・宅地8町6反余・堂地1反余・藪3反余・山林56町5反余・萱野3町3反余・芝地4畝,戸数127・人口666,馬6,車4,明治10年創立の六村学校の生徒数63・教員数4,物産は藤沢駅へ輸送する。また民業は,男女ともに農業を主として,農間に養蚕を行う(茅ケ崎市史研究4)。同22年松林村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302070
最終更新日:2009-03-01




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