ケータイ辞書JLogosロゴ 足小河(中世)


神奈川県>小田原市

鎌倉期に見える地名相模国足柄下郡早河荘のうち初見は寛喜2年閏正月14日の藤原(山内首藤)重俊譲状(山内首藤家文書/県史資1‐310)で,嫡男宗俊に譲られた「足下郡早河庄内一得名田并在家」の内に,「足小河弐段小,同所一段」と見えるこの2筆の田地は建長元年8月21日の沙弥深念(山内首藤宗俊)譲状にも,「足下郡早河庄田子郷一得名内田地屋敷在家」のうちの田地として,同様に記されており,家嫡である三男の時俊に譲られている(山内首藤家文書/県史資1‐406)当地が田子郷の一得名に属していたことがわかるなお応永3年足利氏満によって建立された大雄山願成寺は,大永3年4月吉日の勧進状写(相文/同前3下‐6572)に,「相州西郡鞠子河,足子河之中間」にあると記されているが,この場合は川の名をさしているとみられる前記の田地もこの川のそばに開かれたものと推定される山王川下流を蘆子川と称したことから,現在の小田原市市街地北部一帯付近に比定される
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302103
最終更新日:2009-03-01




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