ケータイ辞書JLogosロゴ 穴部新田(近世)


神奈川県>小田原市

 江戸期〜明治22年の村名。相模国足柄下郡のうち。慶安3年中曽根村名主の弟伝佐衛門は小田原藩主稲葉正則の許可を得て,穴部村に隣接する荒地を開発。しかし正徳2年洪水のため流失。穴部村に住む伝佐衛門曽孫与右衛門が再開発に着手,宝暦5年に成功(新編相模)。元禄10年・幕末ともに小田原藩領。村高は,「元禄郷帳」27石余,「天保郷帳」「旧高旧領」とも50石余。なお貞享3年朱印高27石余(御引渡記録)。検地は万治2年・延宝7年。検地帳による反別は,万治2年3町3反余うち田1町8反余・畑1町5反余,延宝7年3町9反余うち田2町5反余・畑1町3反余。延宝7年の検地帳の屋敷地には開発者伝左衛門分9畝歩があり,また正徳2年の洪水の記録と推定される後筆に「皆川成〆弐町弐反拾四歩」がある(旧足柄支所所蔵)。天明2年の家数は11軒(立木家文書)。「新編相模」によれば,江戸から21里6町,東西6町半・南北3町,家数9軒,鎮守は稲荷社。文化7年から小田原宿の助郷を勤める。明治4年小田原県から足柄県を経て,同9年神奈川県に所属。同22年富水村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302123
最終更新日:2009-03-01




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