今宿村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。相模国高座【こうざ】郡のうち。寛永10年・元禄10年ともに幕府領,幕末には旗本馬場氏知行と幕府領。村高は,「元禄郷帳」146石余,「天保郷帳」148石余,「旧高旧領」も同高でうち馬場氏知行146石余・幕府領1石余。検地は寛文6年。「新編相模」によれば,江戸から15里,東西5町許・南北6町,家数32軒,東海道が通る。また鎮守は山王社,ほかに神明宮・天神社・祇園社がある。寺院は日蓮宗信隆寺・長昌山仏国寺,大乗院上国寺。寛永年間頃,信隆寺は武田信就,仏国寺は秋山政景という甲斐武田氏ゆかりの者が開基となったという。寛文6年の田畑は,田41石余・畑105石余,田畑名請人数47うち2か寺(今井文書)。安政2年の家数33軒・人数195,馬1(茅ケ崎市史1)。馬入渡船場5か村組合として定助郷役を勤め,寛政8年の記録では年間606人の水主を負担しており,5か村組合への給畑20石のうち4石5斗7升6合を与えられた(同前)。天保年間から明治初年にかけて安藤中山と中川樊治の寺子屋が存在した(茅ケ崎市史研究6)。明治元年神奈川府を経て神奈川県に所属。「皇国地誌」によると,税地47町3反余うち田7町9反余・畑33町3反余・宅地3町余・山林7反余・萱野1町4反余・藪8反余,飛地は馬入村ほかに約5町,戸数55・人口279,車13,明治10年創立の台学校の生徒数127・教員数6(同前1)。同22年鶴嶺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7302342
最終更新日:2009-03-01