赤祖父村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。射水【いみず】郡二上荘のうち。加賀藩領。寛文10年の村御印の村高532石・免4(高物成帳写)。真宗西派浄福寺は寛政3年加賀国石川郡堀江村から当村へ移転,天保2年寺号公称許可され,同12年高岡大工中町へ移る。寛政6年頃の戸数17。出火の時は高岡古城へ詰人足8人(射水郡巨細帳)。鎮守は巳ノ社・八幡社・諏訪社。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年射水郡下関村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316861
最終更新日:2009-03-01