ケータイ辞書JLogosロゴ 浅地村(近世)


富山県>小矢部市

 江戸期〜明治22年の村名。礪波【となみ】郡蟹谷【かんだ】郷のうち。加賀藩領。元和5年の役家15軒(利波郡家高ノ新帳)。明暦2年の村御印では1,385石で免5.2,小物成は山役41匁・鮎川役6匁であった(加越能文庫)。「天保郷帳」では村高2,028石である。寛文2年今石動【いまいするぎ】の蔵下村に指定される。文化15年,収納米不足のため10貫余を借用し,天保5年魚津召指添人雑用のため0.1貫借用した(小矢部市史)。鎮守は,神明・山王・諏訪林・権現林(正徳2年堂宮書上帳)。このうちで,神明社の崇敬は大きく,伊勢神宮の御師たちは,ここを拠点にして,敬神崇祖の布教活動をした。また,加賀藩の家老の本多安房守・横山安房守の寄進した神田が7反(納米10石5斗)あったといわれる(越之下草)。寺院の西恩寺は,延徳2年に礪波郡木舟村にて創建,天正10年に当村に移転再建(三州地理志稿・藪波村史)。幕末期の主な副業は,牽売【ひきうり】・絈・日庸・駄賃負・瓦焼などであった(菊池文書)。とくに瓦生産は伝統産業として名を知られた。嘉永年間家数130・人口756(小矢部市),明治5年の戸数120・人口758(明治初年の礪波)。同6年に道生小学校(浅地小)が創立された(礪波教育八十年史)。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年礪波郡藪波【やぶなみ】村と津沢【つざわ】町の大字になる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7316897
最終更新日:2009-03-01




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