安養寺村(中世)
戦国期に見える村名礪波【となみ】郡蟹谷【かんだ】荘のうち永正10年11月10日付の「親鸞聖人伝絵裏書」(高岡市伏木 勝興寺所蔵/県史中)に「越中国利波郡蟹谷庄内安養寺村」と見えるのが村名の初見村名のもととなったと思われる安養寺は,文明3年6月に蓮如が建立した土山御坊(蓮如の次男蓮乗持住)がその前身である(賢心抱語/高岡市史上)永正3年の越中・能登・加賀の一向一揆による越前・朝倉氏攻撃の際には「其外越中の大坊主安養寺・瑞泉寺(現東本願寺井波別院)」と見え,安養寺は瑞泉寺とならぶ越中一向宗の中心勢力であった(加越闘諍記一/史籍雑纂第一)安養寺は,永正14年に勝興寺と改称し,天正12年に神保氏張の寄進によって現在地(高岡市伏木【ふしき】)に移った(高岡市史)
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317075
最終更新日:2009-03-01