石王丸村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。礪波【となみ】郡糸岡郷のうち。加賀藩領。元和5年の役家5軒(利波郡家高ノ新帳)。明暦2年の村御印では村高305石・免4.6(加越能文庫)。「天保郷帳」では村高480石余。寛文2年今石動【いまいするぎ】の蔵下村に指定される(小矢部市史)。スゲ栽培が盛んで天保14年の「礪波郡菅一件留帳」によると菅田の作付は7,311歩余で高30石余。鎮守は権現(正徳二年堂宮書上帳)。天正3年僧明法創建の浄土真宗本願寺派明通寺があった(三州地理志稿)。明治2年の家数51・人口244(小矢部市史),同5年戸数56・人口314(明治初年の礪波)。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年礪波郡荒川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317149
最終更新日:2009-03-01