石名田村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。礪波【となみ】郡糸岡郷のうち。加賀藩領。元和5年の役家8軒(利波郡家高ノ新帳)。明暦2年の村御印では村高651石・免4.4,小物成は野役20匁(加越能文庫)。「天保郷帳」では村高658石余。寛文2年今石動【いまいするぎ】の蔵下村に指定される。スゲの栽培が盛んであり,五社・七社とともに男が笠骨指しにあたった(小矢部市史)。また,文政8年大風で潰れた家々に対して,1戸あたり5合ずつの救助米が1年間下付された。安政5年の大風の際,1軒の潰れ家が出た。鎮守は八幡・神明(正徳二年堂宮書上帳)。明治5年の戸数48・人口240(明治初年の礪波)。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年礪波郡正得【しようとく】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317201
最終更新日:2009-03-01