ケータイ辞書JLogosロゴ 海老江村(近世)


富山県>舟橋村

 江戸期〜明治22年の村名。新川郡高野郷のうち。加賀藩領。村高は寛文10年の村御印では226石・免4.25(高物成帳写)。天保9年も226石。高野用水より取水。家数は,明和5年15,天保9年14,文久3年18。人口は,天保9年70,うち男37,文久3年82,うち男45(新川郡村々高免家数改帳/奥野文書)。安政6年頃には大工と木挽各1軒があった(新川郡諸商売取調理書上申帳/杉木文書)。十村組は,承応3年頃は高野組,のち文政4年からは新堀組に属した。享保18年頃の村役人として,肝煎を八郎右衛門,組合頭を五助がつとめた(新川郡村廻帳/川合文書)。寺社に美濃国の武士高木兵部之輔・兵之輔父子が出家して蓮如上人の弟子となり,この地に一寺を設けた等通寺と伊邪那岐尊を祀る熊野社があった。明治5年の戸数20(新川県区分表)。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年上新川郡舟橋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317618
最終更新日:2009-03-01




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