太田(近代)
明治22年〜現在の大字名。大字太田村とも称した,はじめ太田村,昭和28年からは高岡市の現行大字。明治32年伏木町国分との間に山越えの車道往来が開通。同38年臨済宗相国寺派国泰寺が相国寺派から末寺24か寺とともに独立し国泰寺派本山となった。大正元年中越鉄道伏木〜島尾間が開通し,雨晴駅か設置されて以来,海水浴場・避暑地として発展し,夏季には貸席・浜茶屋などが設けられるようになった。大正7年字円保元諏訪社の神木掘り上げに際し,内行花文鏡が出土して以来,相次ぐ発掘調査によって古墳群の存在が確認され,昭和9年桜谷古墳群として国の史跡に指定された。明治42年字辰口の村社天満社と渋谷熊野社と合祀して社名を松太枝神社と改め,また村社神明社に村社の熊野社・白山社・火宮社と無格社日宮社などを合祀して有磯神社と改称した。海岸に面し大正4年の統計では専業漁家5戸・7人,兼業が25戸・38人である(太田―歴史と風土)。北洋の樺太【からふと】(現サハリン)・カムチャツカへ出稼ぎする漁師も多かった。第2次大戦後伊勢領を中心として海水を煮つめての製塩が行われていた。サツマイモの産地として知られる。太田のいもともいわれていたが,明治から大正にかけて養蚕が盛んになり桑畑に代わったが,昭和期に入って衰え,再びサツマイモが畑のほとんどを占めるようになった。昭和5年の戸数375・人口2,038。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317729
最終更新日:2009-03-01