御馬出町(近世〜近代)
江戸期〜現在の町名大馬出町とも書き,また高岡御馬出町とも称した高岡町本町三十五町の1つ(高岡町図之弁/高岡市史)加賀藩領慶長14〜19年は高岡城下のうち高岡古城の西南部に位置する当町は越前の吉十郎という人が開いたといわれ,町名は堀上町の大馬出の前にできたことにちなむ前田利家が豊臣秀吉より拝領した聚楽第の御所車を,利長が高岡開府にあたって「大町之内七町」へ付与したと伝承される7町の1つ北陸街道筋藩主参勤通路で,正徳元年に指定された御本陣の所在地町の入口には,警備のための木戸が設けられていた寛政12年中川原町よりの大火で,全町83戸焼失天明5年の家数82,明治5年の戸数99(高岡市史)同12年高岡郵便局電信分局設置翌13年三等電信局となる明治18年洋館2階建六角堂の高岡米商会所が新築され,通町の仮屋より移って開業同20年創立の高岡取引所と同29年に合併高岡米穀外五品取引所,ついで高岡米穀取引所と改称通称六角堂と呼ばれ,高岡の名物となった同地域は年とともににぎわい,仲買店・旅館・飲食店などが並び繁華街の中心をなした江戸後期には高岡工芸の元祖辻屋丹甫・女医金子円明が在住した明治の化学者高峰譲吉博士は当地の出身明治9年石川県,同16年富山県に所属同22年高岡市御馬出町となる昭和4年の戸数103・人口422
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317975
最終更新日:2009-03-01