開発村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。射水郡二上荘のうち。明暦2年および寛文10年の村御印では領家開発村と記す。加賀藩領。寛文10年の村御印では村高582石,ほかに寛文2年の新開高29石・免4.3(高物成帳写)。高岡出火の時は小杉へ注進するため2人の人足を差し出し,高岡地子木町から下桶屋町までの道路の整備を担当していた。寛政6年頃の家数11軒(射水郡巨細帳)。熊野神社は先宮【まつのみや】ともいい前田利長高岡築城とともに地方鬼門よけの神として深く信仰された。以後も高岡本町・開発町・土器【かわらけ】町の産土神として崇敬されていた。文政7年高岡油町と同地子木町との間にある縄手地を請けて,開発村から分離して母衣【ほろ】町・縄手中町・縄手下町の3か町が成立。明治9年石川県,同16年富山県に所属。同22年射水郡掛開発村の大字となり,一部は高岡市・横田村へ分割編入される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7317994
最終更新日:2009-03-01