ケータイ辞書JLogosロゴ 片原横町(近世〜近代)


富山県>高岡市

江戸期〜現在の町名高岡片原横町とも称した高岡町地子町二十二町の1つ(高岡町図之弁/高岡市史)加賀藩領元和元年高岡城廃城後,藩臣の屋敷跡地と射水【いみず】郡鴨島【かもじま】村の請地の各一部を合わせて町立てされた宝永年間頃すでに2か所に木戸が置かれ,宝暦年間まで残っていた延宝5年町奉行役宅が創建された寛政12年中川原町裏手から出火,当町も類焼し41戸を焼失文化3年富田徳風が同志と謀って影無坂に詰文の講堂修三堂を創立影無坂は一番町の孝子六兵衛が赤衣の異人と出会い,近いうちに福を与えると告げて姿を消したことから名付けられたという文化6年徳風はこの地に「動地孝子碑」をたてた天明5年の家数49,明治5年の戸数64(高岡市史)同9年石川県,同16年富山県に所属明治元年初期の公立学校高岡学館が設立された同7年旧町奉行役宅内に南之学校を創立,次いで育英学校と改称,同9年洋風新校舎が建てられたが同17年焼失,同21年再建された同14年には大橋十右衛門の首唱で越中義塾が創立されるなど,明治初期の高岡の文教の中心地となる同17年村落戸籍編入により,射水郡下関村に1戸,同郡鴨島村に20戸,湶分【あわらぶん】村に2戸を送籍,同22年復籍同年高岡市片原横町となる同30年328坪余を片原町に編入同33年二番町から出火,当町も延焼し全戸を焼失育英学校をはじめ真宗東派超願寺・曹洞宗広乾寺も焼失同42年高岡警察署が桜馬場公園から移転大正2年育英学校跡に高岡市役所庁舎が竣工し,高岡市の政治の中心となるしかし第2次大戦後高岡警察署・市役所がほかに移転,以後商業の中心地となる昭和4年の戸数91・人口545同41年一部が末広町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7318089
最終更新日:2009-03-01




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