下国重村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。新川【にいかわ】郡高野郷のうち。加賀藩領。村高は寛文10年の村御印では246石・免4.3(高物成帳写),天保9年も246石。三郷用水より取水。家数は,明和5年15,天保9年18,文久3年17。人口は天保9年78,うち男35,文久3年86,うち男45(新川郡村々高免家数改帳/奥野家文書)。安政6年頃には豆腐屋・酒小売・大工が各1軒あった(新川郡諸商売取調理書上申帳/杉木文書)。十村組ぱ承応3年頃は高野組,のち文政4年からは新堀組に属した。白岩川沿岸には舟着場があり支流の八幡川も川舟が往来した。神社に誉田別【ほんだわけ】尊を祀る八幡社があった。明治5年の戸数18(新川県区分表)。同9年石川県,同16年富山県に所属。同22年上新川郡舟橋村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7319284
最終更新日:2009-03-01