母衣町(近世〜近代)
江戸期〜昭和42年の町名高岡母衣町とも称した高岡町散町十四町の1つ(高府安政録/高岡市史)加賀藩領千保【せんぼ】川右岸に位置町名は母衣歩土の邸があったことによる説(高岡史話),母衣を作る職人がいたという説(高岡の伝承採集報告)があるもとは射水【いみず】郡開発村領文政7年油町と地子木町の間の開発村領を請地して町立てした天保2年真宗東派西光寺が礪波【となみ】郡岩坪村より移転同3年出火,全焼46戸・潰れ家26戸に及ぶ(高岡史料)関野神社の高岡北端の氏子の地で,毎年5月1日の大祭には神輿の巡幸があった明治5年の戸数78(高岡市史)同9年石川県,同16年富山県に所属同17年村落戸籍編入により75戸を開発【かいはつ】村に送籍したが,同22年復籍同年高岡市母衣町となる昭和4年の戸数115・人口469同25年出火により14.5戸消失同42年現行の京町の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7321816
最終更新日:2009-03-01