和田新町(近世)
江戸期の町名礪波(となみ)郡福田郷のうち加賀藩領祖父川右岸に位置し,東は射水【いみず】郡羽広村慶安2年礪波郡佐野村・同郡北島村・射水郡北島村の一部和田野に町立てされた当時の家数70,地子米17石余佐野村・和田新村・和田村とも別称町立ての中心人物であった佐野村の佐助は万治3年隠田の罪に問われ刑死した現在も命日に当たる10月15日には佐助祭が行われている明暦元年には赤丸村から真言宗宝智坊,寛文10年には真宗西派西光寺が現在地に移転佐野村と当町を含めて和田村とも呼ばれ,延宝4年の村高は436石,家数65,村肝煎は兵助(川合文書)また,「和田新町は無高所ながら佐野村百姓残らず家相建て,高力にては佐野村と申す」という(同前)同村の与四兵衛は道番人として射水郡早川村領となる和田町下留に屋敷を拝領していた北陸街道が当町を東西に通り,当地方の経済の中心地となり作食蔵も置かれ,特産品には煙草入があった現行の高岡市和田のうち ⇒佐野村
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7322730
最終更新日:2009-03-01