ケータイ辞書JLogosロゴ 朝気町(近代)


山梨県>甲府市

 明治36年〜昭和46年の甲府市の町名。もとは甲府市大字稲門村の一部。明治36年の戸数33・人口178,大正9年の世帯数53・人口237。市の東南隅に位置する農業集落であった。大正13年に着手された町内南部の湿潤地の耕地整理の結果宅地化が進み,第2次大戦前における戸口の増加が目立った。昭和4年一部が西1〜2条通・南大路・北大路・東1〜6条通・住吉通となる。同12年に甲府女子高等小学校が開校,同22年市立東中学校設置。昭和20年の空襲で世帯数215のうち全焼195・半焼20,死者45・重軽傷者88という大きな被害をうけている(甲府空襲の記録)。第2次大戦後住宅地として戸口の増加が著しく,同26年の世帯数427・人口1,935。同33年東中学校が東光寺町へ移転したあとへ東小学校が開校。同41年一部が朝気1〜3丁目となり,残余は同46年里吉町となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7334970
最終更新日:2009-03-01




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