穴切町(近代)
明治36年〜昭和39年の甲府市の町名。もとは甲府市大字飯沼村の一部。大正9年の世帯数409・人口1,974。明治30年代市の西部の発達にともなう戸口の増加により,同35年飯沼分教場を町内に新築移転して穴切小学校とする。また町内には明治26年設置の私立玉声裁縫女学校(のち市立甲府女子高校)があった。同40年増山町の遊郭が大火で焼失すると,当町の一部を画して遊郭とし,穴切新地とよんだ。同44年は妓楼21・娼妓200・芸妓30。これより昭和期にかけて戸口の増加が著しい。昭和9年には製糸2・木工4・水晶加工6のほか鉄工・製材などの工場があった。昭和20年の空襲では町内1,300世帯のうち890世帯が全焼の被害をうけている(甲府空襲の記録)。同26年の世帯数1,307・人口5,661。同39年宝1〜2丁目・丸の内1〜3丁目の各一部となる。
解説文を自分にメール![]()
メアド:Milana@docomo.ne.jp
(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7335009
最終更新日:2009-03-01