十谷村(近世)
江戸期〜明治8年の村名。巨摩郡のうち。西河内領に属す。はじめ幕府領,のち甲府藩領,享保9年幕府領。枝郷に清水・白坂・山王・大草里がある(国志)。村高は,「慶長古高帳」75石余,「宝暦村高帳」114石余,「天保郷帳」「旧高旧領」117石余。文化初年の戸数97・人口420(男200・女220),馬19(国志)。御巣鷹守が課せられたが,その代わりに15石の巣鷹守役引と薪炭自由免許が与えられ,村の経済は山林に大きく依存していた。寺院は曹洞宗十谷山久真院・日蓮宗自在山妙長寺があり,久真院は中世の創建,妙長寺は天正10年観住院日慶の開山で当地の開基柤越深沢妙長の名を寺名としたという。氏神は鈴鹿明神で840坪の社地があり,大統領権現の祠も祀り,別に天神宮も祀る。享保年間頃から伝えるとされる十谷三番叟は町無形民俗文化財で,翁・黒木尉・千歳の演技者は当地の長男の少年が演じることとされ,現在も伝承される。「みみ料理」と呼ばれる郷土料理は,甲州名物「ほうとう」の祖型をなすものとして珍重され,近隣にも比類のないものである。幕末期に僧望月謁前は寺子屋を開いた。明治4年山梨県に所属。同8年五開村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7336160
最終更新日:2009-03-01