朝原村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出雲国飯石【いいし】郡のうち。江戸期は松江藩領。寛政4年「飯石郡中万指出帳」による戸数91・人口435,うち男243・女192,小鍛冶・紺屋・木挽各1・桶屋2の記録がある。村高は「大数録」では490石,「天保郷帳」では582石余であり,「検地帳」「下札」でみる村高は寛文10年410石余,文政2年381石余である(佐田町史)。明治4年島根県に所属。「皇国地誌」によると,田66町余・畑26町余・宅地4町余,戸数111・人口549,牛163頭・馬6頭。職業は農90・鍛冶81・炭焼5・商82・大工85・縫織10。材木5,000才を神門【かんど】郡へ,炭1万貫を今市町へ,ハゼ1,500貫を神門郡へ,コウゾ500貫を熊谷村へ,桐実50石を今市町へ出荷。明治22年飯石郡須佐村の大字となる。同年の戸数111・人口349。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410494
最終更新日:2009-03-01