飯田村(近世)
江戸期〜明治8年の村名。那賀【なか】郡のうち。江戸期を通じて浜田藩領。跡市【あといち】組に属す。村高は「石見国高郷村帳」162石余,「天保郷帳」184石余。天明頃より南部丘陵地で鉄穴【かんな】流しによる砂鉄採取が盛んに行われ,それと並行して鉄穴流しの泥土を砂地に堆積して耕地化が進められた。戸数・人口は延享3年26・157,明治3年54・285。神社は八幡宮・若宮(八重葎)。慶応2年〜明治2年は長州藩預り地。明治8年神主村に編入。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410602
最終更新日:2009-03-01