市村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。那賀【なか】郡のうち。江戸期は幕府領大森代官所支配地,天明5年から寛政4年の一時期は浜田藩領。波積【はづみ】組に属す。都治【つち】川が江川【ごうのがわ】に合流する地点に近く,江川交通上の要地にあるためここに川登口御番所が置かれ,市村ほか7か村がその添村にあてられ番所の修復や建替経費その他を分担した。「石見国高郷村帳」の村高は184石余,「天保郷帳」では191石余。寺社には禅宗清泰寺・浄土宗三仏寺・真宗法光寺・真言宗薬王寺・浄土宗善道寺・普門寺,八幡宮がある(八重葎)。宝暦のころ餅屋治兵衛が加賀国金沢から菅笠の製法と菅苗を伝え,以来菅笠は市村の特産となった。慶応2年〜明治2年は長州藩預り地。明治9年島根県に所属。「皇国地誌」は特産として菅笠1万3,000枚をあげている。近年まで治兵衛の命日にあたる3月22日法光寺で菅笠祭が盛大に行われたが,今はすたれた。同22年那賀【なか】郡松山村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410724
最終更新日:2009-03-01