猪布荘(中世)
鎌倉期にみえる荘園名。出雲国大原郡のうち。初見は貞永元年8月19日付の「関東下知状」(賀茂別雷神社文書/鎌遺4362)。同下知状は,賀茂別雷社領福田荘の地頭職停廃をめぐる荘園領主賀茂別雷社と御家人伊北時胤との相論について,賀茂社の主張を認め地頭職停止を命じたものである。同下知状中に「以大西庄司跡猪布庄下文,乱入福田庄」とあり,時胤の親父胤明が,承久の乱の勲功として没収地大西荘・猪布荘地頭職を賜っていたことがわかる。猪布荘の荘号がみえるのはこの史料だけであるが,鎌倉末〜南北朝期には,大西荘(地頭飯沼氏)の一部として猪尾谷村の名がみえ,かつての猪布荘が大西荘の中に組み込まれたことが推測される(嘉暦2年2月24日付「飯沼親泰譲状」など,佐草家文書/旧県史6)。年未詳(戦国期)2月26日の「佐世元嘉二宮就辰連署状」(萩閥69)に「雲州以賦之内,三拾石之地,対信常助二郎相賦候」とみえる。「以賦」も猪尾のことと考えてよいであろう。猪布荘の所在は,「荘園志料」によれば現在の大原郡加茂【かも】町大字猪尾に比定されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410772
最終更新日:2009-03-01