宇治村(近世)
江戸期〜明治22年の村名。出雲国大原郡のうち。江戸期は松江藩領。村高は,寛文4年549石余,「大数録」では430石,「天保郷帳」では549石余。寛政12年人口304。明治4年島根県に所属。同年の戸数61・人口282。「皇国地誌」によると,田35町余・畑8町余・宅地2町余・山林不詳,戸数65・人口262。牛20頭・馬9頭。職業は農53・工6・雑3・紡織女8。生ニンジンを仁和寺【にんなじ】村に,木綿を加茂中村に出荷。村内を芸州街道が通っていた。村社,宇能遅神社は式内社。臨済宗仁王寺は創建年不詳。明治4年の戸数61・人口282。同22年大原郡神原【かんばら】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7410883
最終更新日:2009-03-01